もの書く猫

春宵青狐譚・狐は打たぬ腹鼓  (一)

 
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「只今より三日の内に 貴殿ご秘蔵の貴重品を頂戴致します    青狐 拝」

 
大正十三年四月九日、早朝。


本郷・森川町にある奥山邸の門内に、無造作に投げ込まれていた一通の書状を、庭掃除中の書生が見つ

け、大あわてで当主の征二郎に注進した。

 
当然、主人も目玉ひんむいて仰天し、すぐにこの旨、所轄の警察署長である鳥屋警視に告げんと、使いを走

らせる。
 

むろん、「くれぐれも内密に」との断り書きをつけてのことだ。
 
 

署長命令で、ただちに奥山邸に駆けつけた屈強な男達の中に、ひときわ目を引く少年の、華奢な姿があっ

た。

十六歳の探偵見習い、鍵谷雪生である。

 折しも、師と仰ぐ名探偵、神薙正午が洋行中であったため、その代理として、日ごろ事件を通して親交の深

い、古参の警部の要請を受けてやって来たのだった。


 雪生と坂東警部、そして坂東直属の部下の堀江刑事の三人は、征二郎の書斎の長椅子に陣取って、薄青

の洋封筒に入っていた書状を、ためつすがめつしていた。

「こうして見る限り、奴の真筆に間違いないようだ。どう思う、雪生君。君も、青狐の盗難予告状を何度か目に

しているはずだが」
 
 

坂東警部に問われて、少年は、短い文面のうちにしたためられた文字を食い入るように見つめて、唇を噛ん

だ。


「ええ。断言はできませんが、確かに非常によく似ていますね。神薙先生がおられたら、すぐにも判別なさるで

しょうが」


「ううむ……畢竟、筆跡鑑定家の判断にまかせるしかない、ということか。奥山さん、これは私が預からせてい

ただきますが、よろしいですな?」
 
 

安楽椅子に身を沈めたこの家のあるじは、身ぶりでそれを許可し、生あくびをかみ殺した。

 
ロココ様式をふんだんに取り入れた豪奢な書斎だった。
 

征二郎の父である先代は、もともと輸出用の陶磁器を商っていたが、当時、仏蘭西に突如として巻き起こった

日本趣味の旋風に着目した。

浮世絵の複製をはじめ、扇子だの傘だのの日用品を輸出経路にのせたところ、これが大いに当たって、以

後、トントン拍子に財を築いたのである。
 
 

征二郎はそのあとを継ぎ、奥山海運の現社主として、家業を順調に発展させつつあった。
 

年齢は、とって五十三、血色が良く、銀髪混じりの癖毛はきちんと整えられている。

先代の影響で、幼少の頃からハイカラの気風に触れて育ったせいか、鷹揚なものごしには、一種洗練された

風格があった。
 

 にもかかわらず、雪生少年は、初見からこの男が気に入らぬ。

大造りな目鼻立ちは脂ぎって、横溢な生命力を示しているのに、肝心のまなこときたら。


(まるで剥製にはめ込まれたガラス玉のようじゃないか)
 

と、これは少年期特有の、俗物嫌悪の感情だろう。

 
 一方、本題に入る時のくせで、三、四度揉み手した坂東警部は、ぐっとひと膝乗り出した。

「して、問題のお宝は何処に?」

「『レカミエ夫人の飾り櫛』なら、金庫に保管してある。先に言っておくが、あんたがたの指示通り、今朝はあれ

には一切、手をつけておらん」

「それは結構。では、この場でご確認いただきましょう」
 
 

うむ、とうなずいた征二郎は、安楽椅子をきしませて立ち上がると、背後の壁にかかっている二尺ばかりの油

彩の額をはずした。
 

そのあとに現れたのは、隠し金庫の扉である。

ダイヤル錠を合わせながら自慢げに、

「これは特別注文の品でな。おおよそ八十万種の組み合わせができる」


「ほう、それはたいしたものですな。のちほど拝見」
 

そつなく答えて、坂東警部は手帳に鉛筆を走らせた。
 

間もなく、ギィッと鈍い音をたてて扉が開いた。
 
 

中からビロウド張りの小箱を取り出した征二郎は、それをうやうやしい手つきで卓上に置いて、
 

「とくと、御覧じろ。まさしく千金に値する芸術品だ」
 

もったいをつけつつ、ゆっくりと蝶つがいの蓋を開く。
 

思わず身を乗り出した三人の口から、申し合わせたようなため息がもれた。
 
 

窓から差し込む陽光を受けて、百年前の宝飾品が、さざ波のような輝きを放っている。
 

十九世紀初頭の仏蘭西社交界の花形、レカミエ夫人愛用の飾り櫛。
 
 

手のひらに乗るほどの純金の扇面に、碧玉をちりばめた花弁と翠玉を連ねた葉を持つ蘭が四輪、柔らかな曲

線を描き、周囲は夫人が好んだといわれる真珠で埋めつくされている。
 

どこから見ても精巧かつ優美に作られていて、美術品としても第一級と言えそうだった。


「ちょっと拝見……ううむ。噂にたがわず見事なものだ。
 

あなたが先日、仏蘭西領事からこれを贈られたということは、私も新聞で読みましたぞ。 堀江、あれは、いつ

の記事だったか」

 
宝石の輝きに見惚れていた堀江刑事が、あわてて手帳をめくる。

「今月二日付の、帝都新報です」

「ということは、今や、この東京に住まう人間のほとんどが、このお宝のありかを知っている、ということだな」
by jalecat | 2013-03-18 14:41 | 春宵青狐譚