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もの書く猫

春宵青狐譚・狐は打たぬ腹鼓 (三)

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「主人公は、水島紅子。職業婦人のあいだで熱烈な支持を受けている、女性解放運動家。
 

仏文学に造詣が深く、私塾で教鞭をとっている」
 

詩でもそらんじるかのように言い出す相手に、雪生は首をかしげた。


「なんだ、その人なら、架空の人物ではなくて、ちゃんと実在しているじゃありませんか。
 

それは措くとしても、先生は何故、水島女史に興味をもたれたんです。その理由からお聞かせ願えません

か。」


「理由か……そうだな、まだうら若いのに、率先規範の気概にあふれ、聡明で、しかもなかなかの美形だ。
 

しかし近頃、なにごとか激しく懊悩する様子で、その気丈な女がみるみる瘠せてしまったというんだよ。
 

女史仲間で提唱している、婦人参政権獲得の運動も着々と進んでいるというのに、 妙だと思わないかい?」


「ふーん、確かに妙といえば、妙ですね」
 
 

気のない返事にもおかまいなく、左近は少年に、ついと身を寄せた。


「ところが、彼女には、悪い風聞があるんだ。
 

留学先の巴里で、ある金満家の妾同然の暮らしをしていたと。そして、その相手が、何と、今回の騒動の当事

者、奥山征二郎だというんだがね。
 

これが真実だとしたら、厄介だよ。
 

今をときめく女性運動家が、男の囲い者だったなんていうことが世間に知れ渡ったら、彼女の支持者は落胆し

て首をくくりかねない」

「でしょうね」

「一度は捨てた女が、ぐっと女っぷりを上げて、時の人になっていると知ったとたん、また食指が動くという下

劣な輩が世の中にはいるものさ。
 

彼女はうかつにも、当時ねんごろだった証拠を、奥山に握られてしまっていたんだ」

「つまり奥山は、その証拠をちらつかせて、自分との関係を公表すると脅し、よりを戻そうとしたってわけです

か?」

「それそれ、さすがに君は頭脳明晰だ」

「ほめていただいて恐縮ですが、ぜんたい、その女史の醜聞が、青狐とどう関わりがあるんです?」


「彼女と関わりがあるのは、青狐じゃなくて、君自身ですよ、雪生君。
 

紅子女史の出自を調べてみたら、彼女の母親は、以前、鍵谷家の乳母をしていたことがわかった。
 

つまり、紅子君と君は、乳きょうだいという間柄にならないかね?」
 
 


雪生はうつむいて苦笑を隠した――やれやれ、やっぱりお見通しか。
 

さすが、怪盗青狐の正体を持つ人物だけに、抜け目のないこと。
 
 

何かがじっと息を潜めているようなしじまに、ひとしきり夜風が寄せて、二人の上に、はらはらと桜しべを降ら

せる。





「青狐の予告状は、君が書いたんだろう? 
 

君は、文中に、あえて『貴重品』としか記さなかった。
 

奥山は当然、それを手に入れたばかりの宝飾品の盗難予告と思い込んだ。
 

君は、彼がすぐに警察に警備を依頼するのを見越していたんだね。
 

そこで早速、警部と一緒に現場に駆けつけ、隙をみて、金庫の中にあったもう一つの貴重品、

おそらく紅子女史が以前、奥山宛に書いた手紙か何かをくすねたんだ」


「まったく、見ていたように仰るんですね」


「見てたのさ。僕は千里眼だよ」

雪生はついに我慢できずに、吹き出した。

「そんな風だから、狐の申し子だなんて言われるんですよ」


「おいおい、勘違いしないでくれたまえ。それは、あの盗賊の事だろう? 僕じゃないよ」


片眉を上げてそれに応えた少年は、腰のあたりにしなだれかかった山吹の枝先から、花をひとつ摘み取っ

た。

「――お察しのとおり、紅子はあの男に強請られていて、思い余って僕に泣きついてきたんです。彼女は、留

学中、貧窮しましてね。
 

学業半ばで帰国を余儀なくされていた。
 

そこに金銭の援助を買って出たのが奥山です。
 

あいつは、当時から貧しい留学生をみつけては、片っ端から食い物にして、パトロンを気取っていたそうです

よ」

「フン、なんとも下劣な御仁だ」


「紅子が取り返したがっていたのは、日記です。
 

几帳面な性格が仇になって、奥山との関係も逐一書かなくちゃいられなかったらしい。
 

まさか、それが奴の手に渡っていて、のちのちの災厄になるとは、夢にも思わなかったんでしょう」



「なるほど、そういうわけだったのか。怖い話だな。
 

僕だったら、情夫との秘め事を日記に綴る女なんて、ごめんこうむるがね。
 

ともかく、奥山はあとからその日記のことを思い出し、金庫から消えているのに気づいて、してやられたことを

知ったわけだ。
 

おそらく、紅子女史が何かの伝を頼って、青狐に奪回を依頼したと思ったんだろう……。

あの盗賊は、断じて人に使われて動く男ではないんだがね」


 知ってますよ、と目で笑った雪生は、左近の謎解きを引き取った。

「どっちにしろ、奥山にしてみれば、まさかそんなものを使って婦女子を強請っていたなんて、公に出来るはず

がありません。
 

そこで、これ以上警察を介入させるのは得策ではないと考え、狂言ということで丸く治めた。
 

めでたし、めでたし――。
 

いかがですか、先生。筋書きとしては、そんなに悪くなかったと思いますが。
 

ああ、ただ青狐が、金庫の中のレカミエ夫人の櫛に見向きもしなかったのを、あいつは不審がっているかもし

れませんね」


「だが、あのおかしな物ばかり狙うと評判の、変わり者の青狐のことだ。
 

そんなこともあるだろうよ、と、こう君は言いたいんだろう?」
 
 

口元に微笑を漂わせ、冴え冴えとした切れ長の目を細める雪生をしみじみ見つめて、左近はため息をつい

た。

「君の先生が洋行中で幸いだったよ。
 

神薙の奴、いっぱしの探偵を気取っているくせに、ご秘蔵の弟子が、実はとんだ食わせ物だって、どうして気

づかないのかなぁ。これじゃ、あんまり剣呑すぎる」


「その話、執筆なさるんですか?」

「いや、やめておくよ。そんなことをしたら、まんまと名を騙られた青狐の間抜けぶりを、喧伝するだけじゃない

か。
 

さてと、これにて語り終いだ。そろそろ退散するとしよう」


「なんだか気になるな。『ただほど高いものはない』って言いますからね」


「左様、だから僕は人に恩を売るのをやめられない。ことに、君のような相手には」

 左近の漆黒の瞳が、雪生の挑むような視線を受け止める。

見つめ合うことしばし、青年怪盗の端麗な面に微笑が広がり、その視線が、つい、と葉桜の梢へ、更に群青の

空へと向けられた。

「ああ、まったくいい月だ。狸だったら腹鼓のひとつも打ちたいところだね」

 
にやりと笑って、きびすを返す。
 


その後姿の、さらさらと黒髪がなびくあたりから、さやかな月光がそのまま音色になったような澄んだ口笛が

流れ出すと、少年はわずかに頬をゆるめた。
 
 

次第に遠のいていく甘やかなビゼーのメヌエットの旋律に、しばし耳を傾けていたそのしなやか影もまた、春

の宵闇の奥へと歩み入る。



(了)
by jalecat | 2013-03-28 00:41 | 春宵青狐譚