もの書く猫

夢見の鳥 {Ⅲ}

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「いや、まだ起きている。蝋燭を足してくれぬか」

フレゼリクが答えると、

「はい、ただいま」

城主の居間に入ってきた長身の青年は、機敏な足どりで音もなく歩きまわり、壁のくぼみに据えられた燭台ご

とに、新しい蝋燭を継ぎ足した。

最後に主の卓の上に、つややかな極上の一本を。

 
蜜蝋の甘い匂いがただよい、ゆらめく炎が従者の端正な顔を照らしだした。

華やかな印象こそないが、いかにも高潔な面差しだった。

貴族の姫から料理番の娘まで、城内の女たちがこぞって彼に熱い視線を投げるのを、フレゼリクはだいぶ前

から気づいていた。

まだ分別のない十七、八の頃は、それをひやかしの種にしたこともあったが、彼は主の軽口や冗談を、

そのつど、実にやんわりと受け流したものだった。




「雨音が聞こえなくなったようだが」

「さきほど所用で外郭に参りましたが、ほとんど上がっておりました。外をご覧になりますか」

 窓辺に歩みよった従者が鎧戸を開けはなつと、たちまち、濡れた土の生き生きした匂いが吹き込んできた。

おりしも、空には久しぶりの月が現れるところだった。

 
縦長の雲の帯が、濃く薄く周囲をとりまいていたが、それが風に吹き上げられて次々と高みへ移動し、

そのために、冴え冴えとした輝きを放つ満月は、雲の渦のなかを、ゆっくりと落下するかに見えた。


「あの月を見よ! まるで井戸の底に落ちていく銀貨のようではないか」

思わず感嘆の声を上げた主の背後で、従者は小さく笑った。

「まことに。ならばあの銀貨は、さしずめ、あなた様ということでしょう」

これにはフレゼリクも苦笑せざるをえなかった。

 

七つの時、古井戸に落ちて、まる一日、行方知れずになったことがある。


それをほのめかす相手に、

「銀貨は二枚だったはずだぞ、グィード」

負けじ、と言い返す。

 
当時、小姓だったグィードも、王子を救おうとして共に落ちたのだった。


さいわい枯れ井戸だったが、どうあがいても、抜け出せない深さだった。

少年たちは、なすすべもなく、丸く切り取られた空を見上げるほかなかった。
 

さらに悪いことに、夜半過ぎに降りだした初雪のせいで、翌朝、探索の兵に見つけ出された二人は、芯から凍

え切っていた。

 今、フレゼリクはその時の心細さと、マントにくるんだ彼を一晩中抱えていた華奢な腕のぬくみ、

『必ず、助けが参ります。ご案じ召されますな』

そう元気づけるグィード少年の声を、まざまざと思い出していた。


(そうだ、足を踏み入れる者もない、先祖の狩場に誘い出したのは私だった)

 
それなのに、グィードひとりが、人々を騒がせた罪を背負い、さんざんに鞭打たれた。

それは、『隣国・トゥーランの第三王子』という身分に生まれついた彼にとって、かつて経験したことのない辱め

だったはずだ。
 


その屈辱に甘んじねばならなかったのは、彼が、ここ、ユングバルドの人質だったからである。
by jalecat | 2013-04-05 00:31 | 夢見の鳥