もの書く猫

夢見の鳥 {Ⅳ}



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今から遡ること、十五年。

ユングバルドに戦をしかけて敗北したトゥーラン王は、金九百万バームとともに、服従のあかしとして三番目

の息子、グィードを差し出したのだった。



今の今まで、その事実は、フレゼリクの頭の片隅に追いやられていた。

長い年月、グィードがあまりにも身近にいたためかもしれない。 

彼は、この瞬間、黒鳥が暗示した未来を、はっきりと予見した。

 
無言で、背後の従者を振り返る。

かちりと視線が合った鋼色の目は、なぜかすべてを理解しているように見え、フレゼリクをたじろがせた。
 

強い絆を育んできたこの男を、あやめる――

それは、とりもなおさず、トゥーランとの二度目の戦が迫っていることを意味しているのではないか。

戦火を交える国の人質ならば、生かしておくことはできまい。


言葉を失ったままのフレゼリクに、従者は鋼の瞳をやわらげて軽く頭を下げた。

「薬酒をお持ちいたしましょう。よくお休みになれますよう」

 

                               ***



 従者がたどるべき不吉な運命は、ユングバルド全土にふりかかる危機をも意味していた。

 
領地をめぐる他国との小競り合いは、日常茶飯事だったが、ユングバルドとトゥーランの和平は、長期にわた

って保たれていた。

この期におよんで、トゥーラン王が反旗をひるがえすとは考えがたい。


戦の可能性を否定する一方で、フレゼリクは、緊急の事態にそなえるべく、粛々と準備をすすめた。

国境に近い山城や砦をあずかる重臣たちに、警護を強めて兵糧の備蓄を急ぐよう命じ、その上で緘口令を敷

いた。

東の国境を接するドルムノールには、かねて争っていた領地の一部を与えることを条件に、開戦のあかつき

には中立を守るよう、密約をかわした。

 
 


次の満月を迎えないうちに、フレゼリクの夢解きはにわかに現実味をおびてきた。

トゥーラン王グスタフ急死の報が、早馬でもたらされたためである。


葬礼が終わると、通常の服喪期間を経ずに、次子のグンナルが凡庸な嫡子をさしおいて、冠を戴いた。
 

グンナル・カールフェルトには、常に野心家の風評がつきまとっていた。

愛妾との間にもうけたグィードを慈しんだ父王と違い、人質の烙印を押された弟の安否など、気にかけるよう

な男ではない。


グンナル即位の知らせに追い討ちをかけるように、かねてよりトゥーランに潜伏させていた手の者から、次々

に密書がとどいた。
 

それによると、グンナルは近隣諸国から強者の傭兵をつのり、着々と開戦の準備を整えているという。


 
 

この頃にはすでに、城内のそこかしこで戦の噂が囁かれはじめていた。

フレゼリクは臣下を集めて正式にこの大事をつげ、対策を謀らねばならなかった。
 

軍議は、連日、深夜にまでおよんだ。
 

                              ***



城内に漂う空気は、日ごとにものものしさを増していった。

武具師がふるう槌の音が間断なく響くようになり、夜明け前から日没後まで、あわただしく城塞の大門を出入

りする荷車の音や、ぞくぞくと到着する騎士を迎える人びとの歓声、軍馬のいななきがそれに加わった。


 
今しも、風雲急を告げるかと思われるなか、ひとり、フレゼリクの懊悩は深まっていった。

今やトゥーランの造反は動かしがたく、グィードの進退はきわまっていた。


(それ、見たことか。そもそも、人質を従者になどするからだ)
 

そう言わんばかりの大叔父、アクセル公の、したり顔が目にうかぶ。

彼のように、グィードに向けるフレゼリクの寵愛を、以前から苦々しく思っている貴族も少なくない。

人質の扱いに私情を挟んでは、臣下へのしめしがつかぬ。

ひいては、規律を重んじる騎士たちの士気にもかかわろう。

 

しかしフレゼリクは、「人質を投獄すべきである」という重臣たちの進言に、耳を貸そうとしなかった。
 

一方、グィードも平素とまったく変わらぬ様子で、淡々と務めを果たしていた。

 
 
                               

                              ***



ついに、ある夕べ、視察におもむいた武器庫で、フレゼリクは供をしたグィードに密かに告げた。


「今宵のうちにドル・アレン河を渡ってトゥーランに逃れよ。もはや、私にできることはそれだけだ。

ホルムの船着場に、手の者が待っている。のちの懸念はいらぬ」
 


短剣の鋲のゆるみを点検していた従者は、手にした刃と同色の瞳を、主に向けた。

「武門のほまれ高いブランドレル家の当主ともあろうお方が、ご自分の従者に、闇に乗じて逃げよ、

と仰せとは。

おそらく、先の長雨が、あなたに臆病風を吹き込んだのでしょう」

 
フレゼリクは頬が熱を持つのを感じた。

「言葉が過ぎるぞ、グィード。これは命令だ。そなたに否を唱える権利はない」
 

従者の口もとに、興がっているような笑みが浮かんだ。

「そのようなお顔を見るのは久しぶりです。あなたはここしばらく、私に心を開いてくださらなかった。

願わくは、もう一度、あなたの笑顔を拝見したいものです」


「私はもう、笑うことなど忘れてしまった。それもこれもみな、言いつけをきかぬ傲慢な従者のせいだ」

 
 グィードは微笑を消して、威儀を正した。

「死を賜ります、陛下。常にこの日を覚悟して、お仕えしてまいりました。

戦場であなたの盾を持つことがかなわぬ今、私の命など、ご愛馬マーダフのそれにもおよびません。

どうかこれ以上、御心をお痛めくださいますな」
 


若く、誇り高い王は、生まれてはじめて他人に懇願した。
 

「戦になろうとも、そなたを殺めた手に振るう剣はない。

グィード、頼むから生きながらえてくれ。そして戦の場で、私と正々堂々、勝負するのだ」



「私が帰還すれば、兄は、難攻不落といわれるこの城の弱点を何としても聞き出そうとするでしょう。

協力を拒めば、邪魔者の私など生かしておかぬはず。

しかし、この私に、今や故国同然のユングバルドを裏切ることなどできましょうか。

どうせ失う命なら、忠誠を誓ったあなたの手で――」


「ならば、どこへでも好きなところへ行け。そなたほどの男なら、この先、名誉も恋も思いのままだ。

預かっていた命を返そうというのだ。なぜ素直に受け取らぬ」


「預かっておられるのは私の命だけではありますまい。

王が公正であってこそ、兵はおのれを捨てて戦えるのです。

歴代の国王陛下のように、あなたは、このユングバルドを勝利に導かねばなりません」

 
 

静かな声音は、傷ついた心を抱きとって赤子のように揺すった。

フレゼリクは、冠をいただくにのみふさわしい、誇り高いこうべを垂れた。

すでに、血をわけた兄弟とも思う男の決意を、翻す言葉は尽きていた。
by jalecat | 2013-04-09 02:10 | 夢見の鳥