もの書く猫

夢見の鳥 {Ⅴ} 

 

d0310274_0292378.jpg



アスケル山から吹き下ろす寒風に身をさらし、城壁塔に立ったフレゼリクは、自国の軍団が敵軍をむかえ撃

つべく集結しているダウリー平原を見下ろしていた。
 

日没前に、野営地のあちこちから立ちのぼっていた煮炊きの煙に代わって、今は松明や篝火が、無数の赤い

点となって闇深い広野に揺れている。

時折、どっと上がるときの声や荒々しい唄の一節が、風に乗って聞こえてきた。
 

 
ここ数日、不眠不休を通して来たにもかかわらず、決戦前の興奮でフレゼリクの目と頭は冴えきっていた。

そして胸には、生きている限り忘れえぬ言葉が、しんしんと燃えていた。

「ご武運を、陛下。この身が失せても、あなた様をお守りいたします」
 

城内に霜の匂いが満ちた朝、グィードはそう言い残して自ら主塔の地下牢におもむいたのだった。

 

冷たい月光を浴びて居並ぶいくさびとの中央に立ちながら、フレゼリクは世界から切り離されたような孤独を

感じていた。

ふと、数ヶ月前の記憶が脳裏をよぎる。

今宵と同じ満月のもと、黒森から誘いかけるナイチンゲールのさえずりに胸をふるわせた黄金の夏――

あまりに短い季節。



やるせない感傷と、それがもたらした最後の迷いを封じ込め、フレゼリクは腰に佩いた剣の柄を握りしめた。

 
開戦の前に人質に見せしめの死を与えねばならない。

それは、まだ年端も行かぬ頃、「どうあってもこの者を小姓にください」とせがんで、亡き父王を困らせた彼が、

負うべき責めでもあった。


「牢に行く。長くはかからぬ。誰か供をせよ」

見事な髭をたくわえた壮年の騎士がそれに応じ、松明を掲げて後に従った。
 

塔の長い回り階段を下りきったところで、フレゼリクは騎士を振り返った。

「思い出したぞ。そなたは、たしか、城代のゼノ候の旗下であったな。オードニムの領主……クロンクビストと

申したか」

「さようでございます」

短く答えて見詰め返す澄んだ目には、若い君主を気づかう色がありありと見えた。



衛兵たちが天をも焦がす勢いで篝火をたいている居館の中庭にさしかかると、王家の執事が、緊迫した面持

ちでフレゼリクを待っていた。


「陛下、イルメリン様がお見えになりました。至急、お目にかかりたいとの仰せです」

「姉上が? どちらにおられるのだ」

 

すぐに、居館の入り口に、ほっそりと丈高い姿が現れた。


フレゼリクが敬愛する、聡明にして勇敢な長姉は、白銀の胴鎧をつけた戦装束だった。

嫁ぎ先の公爵家から馬を飛ばして駆けつけてきたのだろう、兜から流れ落ちる亜麻色の髪は乱れ、瞳が暗く

輝いている。

大股に近づいてきたその足元に、どこからともなく舞い降りたオリグルが、純白の優美な羽をたたんだ。


「陛下。英邁なる弟君。かかる火急の際に、お煩わせすることをお許しください」

「護衛も連れずにおいでになったのですか。義兄上は、すでにダウリーに陣を張っておられます。ご用がある

のなら、伝令を出しましょう」

「いいえ、私は城代とともにこの城を守るつもりで参りました。ですが、少々気にかかることがあってお目通りを

願ったのです」

イルメリンが手をさしのべると、白鳥はふたたび羽ばたいて、革の肘当てをつけたしなやかな腕に止まった。



「このオリグルが、私には、何やらもの言いたげに思えてなりません。皆が申すには、陛下はこの戦を予見し

ていらしたとか。

やはり『鳥の夢』をご覧になったのですね」

「シグルが暗示をくれたのです。忌まわしい夢でしたが、確かに国の守りには役立ちました」


言葉にこめられた苦みを察したのか、イルメリン姫は弓なりの眉をひそめた。

「では、オリグルはどのような夢を?」

「見ておりません。最近ではほとんど眠る暇もないのです。眠れたとしても、今は、夢など見たくもありません」

「これは、異なことを。

シグルがあなたに未来を示したなら、オリグルも伝えるべき過去を持つのでは。

しばしお休みなさいませ。そして、オリグルの声をお聞きください」

 

フレゼリクの焦燥は、常ならば素直に耳を傾けるはずのイルメリンの進言を退けた。

「私が知りたいのは、未来のみ。今更、過去を知ったとて、何の足しになりましょう。

まして出陣が迫った今、私には小指ほどの蝋燭が燃えつきる間も惜しいのです」



王家の娘は、硬質な眼差しをふと和らげて、血気にはやる弟を諭す、姉の顔になった。

「いいえ、フレゼリク殿。いにしえより、鳥の夢は対で見るもの、と伝えられているはず。

思い起こされませ、夢をないがしろにして身を滅ぼされたビョルン王を。

そして、夢解きを誤って国難を招かれた曽祖父様を。

鳥たちの暗示には何の思惑もありませぬゆえ、決して御心を閉ざされてはなりませぬ。

グィードを惜しむあまりに、そのご慧眼を曇らせて良いものでしょうか」
by jalecat | 2013-04-12 00:39 | 夢見の鳥