もの書く猫

夢見の鳥 {Ⅵ}

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高い丸天井を仰いで、そこに描かれた天界の光景にしばし見入ったのち、フレゼリクは兜を取って、祭壇の前

にひざまずいた。

決戦前夜の切迫した喧騒も、礼拝堂の中までは届かず、厳かな静寂が、蝋燭の炎を慈しむように揺らしてい

る。



 姉の言に従ってここに来てはみたものの、もとより眠るつもりはなかった。

フレゼリクは、指を組んで頭を垂れ、出陣前の祈りを捧げようとしたが、疲労がそれを許さなかった。
 

すぐに網にからめとられるように眠りの底深く引き込まれていった彼は、

遠くで柔らかな羽ばたきの音を聞いた。






部屋には縦長の隙間がいくつか切ってあるだけで、窓はない。

長い煙出しのついた炉と、その前に据えられた金床。

使い込まれたふいご。

炉の中では炎が挑発的に身をくねらせ、それに誘いだされた影たちが、石壁で乱舞している。

炎の色が届かない部屋の隅には、嵐が刻々と迫る空のような、不穏な暗がりがあった。

不恰好な棚は、びっしり並んだ鉢や壷、植物、鉱物その他数々の得体の知れないもので溢れんばかり。

そして、もっと奥まった処には、更に深い暗がりが澱んでいた。


突然、跳ね蓋が上がる音がして、汚れた革の胴着と、足首まで届く前掛けをつけた老人が、闇の中から姿を

現した。

眩く輝く何かを、両手に捧げ持っている。

それは、節くれだった手におよそ似つかわしくない、贅沢な作りのロザリオだった。

碧玉、紅玉を連ねた数珠の中央で、クルスが七色の不思議な光を揺らめかせている。


ひょこひょこと体を傾げながら炉の前にたどりついた老人は、ロザリオを炎にかざした。

白濁した目を凝らして左見右見していたが、やがて満足げに鼻を鳴らし、前掛けから取り出した鹿皮で、それ

を丹念に磨き始めた。



ややあって、扉を密かに叩く音がした。

「お入り」

老人の声を受けて入って来たのは、マントのフードを目深にかぶった小柄な人物だった。

老人が、訪問者から重たげな金包みを受け取り、それと引き換えにロザリオを手渡して、車軸のきしむような

声で言う。


「お女中。奥方様に、しかとお伝えくだされ。『炎が真実に導く』と」

女は無言で頷き、胸元深くロザリオを忍ばせて、背を向けた。

小走りの軽い足音は遠ざかり――  






再び近づいてきて、すぐ傍らで止まった。

「こちらにおいでになったのですか、陛下」

その声で現実の世界に引き戻されたフレゼリクは、自分の肩先からふわりと飛び立った白鳥が、丸天井の横

木に止まるのを見た。

声の主は、年老いた修道士だった。


「あなた様の従者殿のために、祈りを捧げに参ったのですが……ちょうどようございました」


老いのために小刻みに震える指先が、腰の縄帯からはずしたロザリオを見て、

フレゼリクは息をのんだ。

「なんと! これは、今、私が見ていた夢から抜け出てきたとしか思えぬ!」

「夢、と仰せられましたか? 

いえいえ、こちらは先ほどグィード殿より託された物でございます。身代わりとして戦場にお持ちください、との

ことでございました」



修道士は、痩せ細った腕をぎごちなく伸ばして、王の首に、それをかけた。

フレゼリクは、輝くクルスをたなごころに載せて、つくづくと眺めた。
 

それは、うつつの世界においてもやはり、周囲に滲みだすような、揺らぎの光を放っていた。



「これがグィードのものだったとは……しかし、何故あなたが?」


「先ほど、アクセル公のお召しで、あの方の最後の告解に立ち会ってまいりました。本来ならば司祭様がお出

ましになるべきなのですが、急を要されるとの仰せで」

 
フレゼリクは慄然とした。


「そのような命令を出した覚えはない。まさか……すでに刑は執行されたと?」

「こちらに戻ってくる途中で、牢に向かう刑吏に行き会いました。おそらく今頃は――」

 
消えいるような細い声にもかかわらず、老僧の言葉は氷の刃となって

王の鎖帷子の胸を貫いた。

「何ということを!」

叫ぶなり、フレゼリクは手負いの牡鹿のように身廊を駆け抜け、礼拝堂の外に飛び出した。
by jalecat | 2013-04-16 00:28 | 夢見の鳥